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Augmented/Words in the Cityは都市へのつぶやきを立体にし都市に設置したAR(Augmented Reality)作品。 第1弾を2020年4月に渋谷で、第2弾を2020年10月に有楽町に設置した。 都市を歩き、浮かんだ言葉を集めていく。言葉を3Dオブジェクトにしたのち浮かんだ場所にARで設置している。うねうねとしたオブジェは容易には読めず情報としては機能しない。しかしそれは確かに言葉から生まれており、意味を孕んで浮かんでいる。オブジェクトは位置情報と連動しており特定の場所でスマートフォンをかざすことで見ることができる。このオブジェクトは現実にあるわけではなく、仮想のオブジェクト。 見える人には見えるが 見えない人には見えないもの。存在はバーチャルではあるが、それは確かにそこに実在する。立体化された言葉たちは実体を持ち生物のように都市に漂い続ける。

都市(渋谷)に3Dドローイングを重ねる。3Dオブジェクトになった書は都市のテクスチャを纏っている。これは都市に対するドローイングであり、その場所に刻み込む印のようでもある。ドローイングを3Dオブジェクトにすることで、線は肉体を持ちその場、その空間に存在し続ける。 都市にドローイングオブジェクトを重ねる行為は落書きでもあるし、その場に生命を刻み込む儀式のようでもある。東洋における文字の起源はコミュニケーションのためというよりも、書の起源は神や自然見えざるものとの交信のためのもの、交信の痕跡であった。書くことはなにか生命を宿す行為であるし祈りのような行為であると考える。そして都市とは単なる人工物を超えてイマある自然そのものだ。都市のテクスチャをもったドローイングを設置することはイマの自然との対話であり作品はその痕跡だと言える。

視覚と触覚には相互作用があると考えられている。目に写る世界は光の反射を脳で再構成、つまりつくられたビジュアルだが、そこに触覚といった他の感覚も作用している。我々の見ている景色が脳内で再構成されたビジュアルと言うならば、わたしが今触れているこの物体この世界の真の姿とはなんなのだろうか。また、人はスマートフォンと常時接続しており、スマホはいまや体の延長、新たな器官と捉えてもいい。スマホは世界を見るもう一つの目といえる。 この作品はスマートフォンカメラで写真を撮った後、その場を3Dスキャンしてデータ化し、2Dの写真と3Dデータを重ね合わせている。2D、3Dを混在・再構成する過程を私たちの体で起きてる現象と重ね合わせている。 機械の目(写真)、機械の触覚(3Dスキャン)それを扱う自分の目、自分の触覚。それらを混在させて再構築していくなかで都市はその本質を少し見せてくれるかもしれない。

意識はどこにあるのか日々研究されており、その真相はまだはっきりとは分かっていない。しかし自我は言葉に由来し、言葉の中に自我があると考えている。言葉がなければ考えることなく悩まされることもない。そう考えると人の本質とは言葉にあり、極端な話人は言葉を使っているのではなく言葉に支配され言葉に動かされているのではないかとすら思われる。言葉は人そのものだ。 The word is humanは頭が言葉のオブジェクトになったキャラクター。言葉・書を3Dオブジェクトにする作品が多いが、この作品では直接的に言葉を人間の頭部にすることで「言葉と人」というものに焦点を当てた作品になっている。頭が文字になった人間はその象徴であり、男性にも見え女性にも見えるイマの時代の服をきたキャラクターはアノニマスなものとして都市にたたずみ、誰しもの本質が言葉にあることを示している。